本日雨の中蓼科入り.
激しい降りの中,第2ガーデンの庭をチェックしたら,先住人のジギタリス2色が開花中.
草丈はチビだけど花は存在感がある.こんな所にジギタリスが居たとは…去年も咲いていたのかなぁ?名札さしておかなくちゃ.
母が4月半ばに施設で夕食後に様子がおかしくなり病院へ救急搬送された.診断の結果,脳梗塞と判明.当初脳の1/4がダメになり右半身不随になると言われたが,その後梗塞部分が拡大し脳の半分がダメになった.倒れた当日の夜はまだ意識があり言葉を発していた母だが,翌日以降はただただ眠っているだけ.いつ病院へ行ってもひたすら眠っているだけ.それでもしばらく様子見を続けた.そしてある日,医師の診断ではもう意識は戻らないと宣告.
しっかりしている頃に尊厳死を宣言していた母は,結局6月4日に全ての管を抜いて退院,施設に戻り絶飲絶食を続けた.医師の話では早ければ2,3日,そうでなくとも1週間くらいで…という話だった.
ほぼ毎日様子を見に行ったが,母は眼を開けていたり,入院当初右しか向けなかった眼球が左もまっすぐにも向くようになっていた.が,意識は無い.呼びかけても反応なし.ただ,耳は最後まで聞こえてますよと言われていた.
6月6日は母の89歳の誕生日.部屋には「HAPPY BIRTHDAY」の飾りと,施設で撮影されたたくさんの写真がパネルに貼られ壁にかけられていた.父の会社を引き継ぎ社長業兼ギター・セミプロの弟@抗ガン剤治療中がギターをかかえてやって来た.幸い隣は空き部屋だ.気にせず音を出せる.彼はオリジナル曲を2時間ほど奏で,施設スタッフ,母のお相手をして下さっていたシルバー人材センターからのスタッフさんなどみんなで母を祝った.良い誕生会だった.その後も時々弟はギターを弾きにやって来た.
最期に近い日,呼吸数が増え「ハァハァ」と肩で荒い息をしていた母が,ギターの音色を聞くとスーッと呼吸が落ち着く…という不思議な現象を幾度となく目の当たりにした.音楽の力なのか,可愛がっていた息子が来ているという事が分かるのか.
その後母はとんでもない生命力で2週間ほど生き続け,大地震でビックリしたのか翌日の19日に旅立った.死亡診断書の死因欄には「老衰」.なんとも理想的な死因だ.
その夜は「やっと終わった.これで携帯電話を枕元に置いて寝なくても良いんだ」という,何とも言えない安堵感と解放感を味わった.
地震の影響で火葬場は一日待ちとなったが,昨日無事葬儀を終えて一段落.とは言うものの,1つの終わりは次の始まりでしばらく事務処理があれこれ続く.
で,気分転換のため今朝大阪を出発し蓼科へ.約1週間の滞在予定.帰阪後も当分慌ただしい日々が続く.束の間の植物たちとの再会を楽しもう…って,ジャングルを何とかしないと.(~_~;)
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